壺井栄の「二十四の瞳」の執筆脳について5

分析例

1 大石先生が赴任して4年が過ぎる場面。 
2 本小論では、「二十四の瞳」の執筆脳を「ユーモアと母性愛」と考えているため、意味3の思考の流れ、母性愛に注目する。  
3 意味1①視覚②聴覚③味覚④嗅覚⑤触覚 、意味2 ①喜②怒③哀④楽、意味3母性愛①あり②なし、意味4振舞い ①直示②隠喩③記事なし  
4 人工知能 ①ユーモア、②母性愛 
 
テキスト共生の公式    
 
ステップ1:意味1、2、3、4を合わせて解析の組「感情の共有と戦争の悲惨さ」を作る。
ステップ2:現実を寓話と見る眼と現実を非現実と感じる心が購読脳の出どころと考えているため、「ユーモアと母性愛」という組を作り、解析の組と合わせる。  

A:①視覚+①喜+①あり+①直示という解析の組を、①ユーモア+②母性愛という組と合わせる。
B:①視覚+③哀+①あり+①直示という解析の組を、①ユーモア+②母性愛という組と合わせる。  
C:①視覚+③哀+①あり+①直示という解析の組を、①ユーモア+②母性愛という組と合わせる。 
D:①視覚+③哀+①あり+①直示という解析の組を、①ユーモア+②母性愛という組と合わせる。
E:①視覚+③哀+①あり+①直示という解析の組を、①ユーモア+②母性愛という組と合わせる。   

結果 表2については、テキスト共生の公式が適用される。

花村嘉英(2020)「壺井栄の「二十四の瞳」の執筆脳について」より

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壺井栄の「二十四の瞳」の執筆脳について4

【連想分析1】
表2 受容と共生のイメージ合わせ

大石先生が赴任して4年が過ぎる

A 海の色も、山の姿も、そっくりそのまま昨日につづく今日であった。細長い岬の道を歩いて本校にかよう子どもの群れも、同じ時刻に同じ場所を動いているのだが、よく見ると顔ぶれの幾人かがかわり、そのせいでか、みんなの表情もあたりの木々の新芽のように新鮮なのに気がつく。竹一がいる。ソンキの磯吉もキッチンの徳田吉次もいる。マスノや早苗もあとからきている。
意味1 1、意味2 1、意味3 1、意味4 1、人工知能 1

B この新らしい顔ぶれによって、物語のはじめから、四年の年月が流れさったことを知らねばならない。四年。その四年間に「一億同胞「一億同胞」は底本では「一臆同胞」]」のなかの彼らの生活は、彼らの村の山の姿や、海の色と同じように、昨日につづく今日であったろうか。
意味1 1、意味2 3、意味3 1、意味4 1、人工知能 2

C 彼らは、そんなことを考えてはいない。ただ彼ら自身の喜びや、彼ら自身の悲しみのなかから彼らはのびていった。じぶんたちが大きな歴史の流れの中に置かれているとも考えず、ただのびるままにのびていた。それは、はげしい四年間であったが、彼らのなかのだれがそれについて考えていたろうか。あまりに幼い彼らである。 意味1 1、意味2 3、意味3 1、意味4 1、人工知能 2

D しかもこの幼い者の考えおよばぬところに、歴史はつくられていたのだ。四年まえ、岬の村の分教場へ入学したその少しまえの三月十五日、その翌年彼らが二年生に進学したばかりの四月十六日、人間の解放を叫び、日本の改革を考える新らしい思想に政府の圧迫が加えられ、同じ日本のたくさんの人びとが牢獄に封じこめられた。そんなことを、岬の子どもらはだれも知らない。
意味1 1、意味2 3、意味3 1、意味4 1、人工知能 2

E ただ彼らの頭にこびりついているのは、不況ということだけであった。それが世界につながるものとはしらず、ただだれのせいでもなく世の中が不景気になり、けんやくしなければならぬ、ということだけがはっきりわかっていた。その不景気の中で東北や北海道の飢饉を知り、ひとり一銭ずつの寄付金を学校へもっていった。そうした中で満州事変、上海事変はつづいておこり、幾人かの兵隊が岬からもおくり出された。
意味1 1、意味2 3、意味3 1、意味4 1、人工知能 2

花村嘉英(2020)「壺井栄の「二十四の瞳」の執筆脳について」より

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壺井栄の「二十四の瞳」の執筆脳について3

3 データベースの作成・分析

 データベースの作成法について説明する。エクセルのデータについては、列の前半(文法1から意味5)が構文や意味の解析データ、後半(医学情報から人工知能)が理系に寄せる生成のデータである。一応、L(受容と共生)を反映している。データベースの数字は、登場人物を動かしながら考えている。
 こうしたデータベースを作る場合、共生のカラムの設定が難しい。受容はそれぞれの言語ごとに構文と意味の解析をし、何かの組を作ればよい。しかし、共生は作家の知的財産に基づいた脳の活動が問題になるため、作家ごとにカラムが変わる。

【データベースの作成】
表1 「二十四の瞳」のデータベースのカラム
文法1 名詞の格  壺井栄の助詞の使い方を考える。
文法2 態 能動、受動、使役。
文法3 時制、相  現在、過去、未来、進行形、完了形。
文法4 様相 可能、推量、義務、必然。
意味1 五感 視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚。
意味2 喜怒哀楽 情動との接点。瞬時の思い。
意味3 思考の流れ  母性愛ありなし
意味4 振舞い ジェスチャー、身振り。直示と隠喩を考える。
医学情報 メンタルヘルス 受容と共生の接点。購読脳「感情の共有と戦争の悲惨さ」と病跡学でリンクを張るためにメディカル情報を入れる。
情報の認知1 感覚情報の捉え方 感覚器官からの情報に注目するため、対象の捉え方が問題になる。例えば、ベースとプロファイルやグループ化または条件反射。
情報の認知2 記憶と学習 外部からの情報を既存の知識構造に組み込む。その際、未知の情報についてはカテゴリー化する。学習につながるため。記憶の型として、短期、作業記憶、長期(陳述と非陳述)を考える。
情報の認知3 計画、問題解決、推論 受け取った情報は、計画を立てるときにも役に立つ。目的に応じて問題を分析し、解決策を探っていく。獲得した情報が完全でない場合、推論が必要になる。
人工知能 ユーモアと母性愛 ユーモアとは、上品な洒落の感覚。母性愛とは、母親が持つ子に対する先天的で本能的な愛情。

花村嘉英(2020)「壺井栄の「二十四の瞳」の執筆脳について」より

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壺井栄の「二十四の瞳」の執筆脳について2

2 「二十四の瞳」のLのストーリー

 壺井栄(1899-1967)の「二十四の瞳」は、1928年4月4日、瀬戸内海の寒村の小学校に大石という若い女性の先生が赴任する話から始まる。それ先駆けて、同年2月に普通選挙法の下で第一回の選挙が行われ、同年3月15日に三・一五事件が発生した。  
 鷺(2018)によると、当時人間解放を叫び、改革を目指す新たな思想に日本政府が圧力を加え、多数の日本人が検挙された。また、世の中が不景気になり、誰もが倹約を必要とした。続けて1931年9月に満州事変、1932年1月に上海事変が起こり、瀬戸内からも軍隊に招兵された。物語の始まりから激しい4年の月日が経った。しかし、海の色や山の姿は変わらず、子供たちは、大きな歴史の中に置かれているとは考えていない。
 「二十四の瞳」には、赤い先生の稲川が治安維持法にかかり教育界から追放される事件がある。それに託けて小林多喜二は、小説家として警察で死んだ人として登場する。1928年に行われた普通選挙で労農党の候補を応援した時、共産党への弾圧や国家維持法違反による労農組合員の逮捕を受けて、小林多喜二は強い憤りを覚えた。大石久子先生は、生徒たちにプロレタリアを知っているか質問した。誰も知らない。壷井栄は、同胞の一人として多喜二の遺体を清めている。
 船乗りの妻として過ごした大石先生は、大吉、並木、八津という男二人、女一人合わせて三人の子の母親となっていた。さらに4年が経ち、時代は日華事変、日独伊防共協定の締結、国民精神総動員という世の中になり、寝言でも国の政治を口に出してはならない状態であった。  
 1945年8月15日、ラジオ放送を聞くために学校へ召集された大吉は、原爆の残虐さがそのことばとして意味だけ伝えられたため、敗戦の責任を背負ってしょげていた。そこに妹の八津の死が重なる。青い柿の実を食べて付着していた卵が人体に摂取され、小腸に回虫が発生し急性腸カタルになった。八津は、戦争に殺された。
 鷺(2018)は、「二十四の瞳」の特徴として登場人物の無名性と場所の限定がないことを挙げている。この作品を読めば、喜びや悲しみの中で過ごした激動の昭和の歴史を確認することができる。戦争が一家の働き手の父や夫を奪い、40歳過ぎても臨時教師として大石先生は働いている。そこで、「二十四の瞳」の購読脳は、「感情の共有と戦争の悲惨さ」にする。辛い戦争体験が描かれる一方で、瀬戸内に生きる庶民の知恵もあるため、執筆脳は「ユーモアと母性愛」である。「二十四の瞳」のシナジーのメタファーは、「壺井栄と大母性」になる。 

花村嘉英(2020)「壺井栄の「二十四の瞳」の執筆脳について」より

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壺井栄の「二十四の瞳」の執筆脳について1

1 先行研究

 文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロに通じる分析方法である。基本のパターンは、まず縦が購読脳で横が執筆脳になるLのイメージを作り、次に、各場面をLに読みながらデータベースを作成し、全体を組の集合体にする。そして最後に、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探す、若しくは、脳のエリアの機能を探す。これがミクロとマクロの中間にあるメゾのデータとなり、狭義の意味でシナジーのメタファーが作られる。この段階では、副専攻を増やすことが重要である。 
 執筆脳は、作者が自身で書いているという事実及び作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読み及びそれに対する共生の読みと定義する。そのため、この小論では、トーマス・マン(1875-1955)、魯迅(1881-1936)、森鴎外(1862-1922)の私の著作を先行研究にする。また、これらの著作の中では、それぞれの作家の執筆脳として文体を取り上げ、とりわけ問題解決の場面を分析の対象にしている。さらに、マクロの分析について地球規模とフォーマットのシフトを意識してナディン・ゴーディマ(1923-2014)を加えると、“The Late Bourgeois World”執筆時の脳の活動が意欲と組になることを先行研究に入れておく。 
 筆者の持ち場が言語学のため、購読脳の分析の際に、何かしらの言語分析を試みている。例えば、トーマス・マンには構文分析があり、魯迅にはことばの比較がある。そのため、全集の分析に拘る文学の研究者とは、分析のストーリーに違いがある。文学の研究者であれば、全集の中から一つだけシナジーのメタファーのために作品を選び、その理由を述べればよい。なおLのストーリーについては、人文と理系が交差するため、機械翻訳などで文体の違いを調節するトレーニングが推奨される。

花村嘉英(2020)「壺井栄の「二十四の瞳」の執筆脳について」より

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高行健の文学の理由-20世紀の中国文学6

 作家は、創生の主役を担わない、また自己精神を錯乱させて狂人に変え、現世を幻に変え、体以外のものは全て浄罪界になり、自然と降りることはない。他人はもちろん地獄で、自我が制御できなければ、どうしてこのようにならないのか。未来のために自分を祭りの品にし、人を犠牲にする必要はない。
 作家は、預言者ではない。人を騙さず、妄想を失くし、同時に自我を審査する。自我が混沌となり、質疑の下、世界が他人を興すと同時に自己を回顧してもよい。災難や圧迫は、外部から来て、自身の臆病は苦痛を深刻にし、他人に不幸をもたらす。
 作家は、真実を提言する。作家は、真実の洞察力を把握し、作品の品格の高低を決定する。作家は、粗探しをしながら独特の叙述方式の過程の中で感知を実現する。
 作家は、報酬を計算せずに自分の必要を書き、自身を肯定するだけでなく、社会に対して挑戦するのも自然である。作家個人の感情は、作品の中で解けて文学になる。作品が社会に対する挑戦となる。不朽の名作とは、時代や社会の有力な回答である。喧しいことは消え、読者が繰り返して読むことにより作品の中の声が残る。文学は、正に歴史の補充である。

参考文献

高行健 高行健短編小説集 聯合文學 2008
高行健 母(飯塚容訳)集英社 2005
花村嘉英 高行健の「朋友」の執筆脳について ファンブログ 2022

高行健の文学の理由-20世紀の中国文学5

3 作家と読者の関係

 高行健は、10年前「霊山」の後、短文を書いている。文学はもともと政治とは無縁で、単に個人の事情であり、まずは観察で経験に対する回顧となり、憶測や感受も心態の表現で思考に対し満足する。
 作家は、ただ話して書く際、一個人であり、他人は、聞くも聞かないもでき、読むも読まないもできる。作家は、人民に命じる英雄でなく、偶像崇拝に値せず、罪人や民衆の敵でもない。権力や勢いが敵人を作り、民衆に注意を移すと、作家はある種の犠牲品になる。不幸のために眩暈がする作家は、以外にも祭品に当たり光栄となる。
 作家と読者の関係は、作品を通じて精神的に交流するだけである。読み書きは、自分で感じ自分で願う。そのため、文学は大衆においてどんな義務にも負けない。作家は、創作に従事する。難を持って生を維持するもある種の贅沢として精神的に満足する。出版作業は幸せである。社会の認可を求めず、報奨を望まない精神活動だからである。

花村嘉英(2022)「高行健の『朋友』の執筆脳について」より

シナジーのメタファー2

高行健の文学の理由-20世紀の中国文学4

 文学は、権力を飾り付けず、社会の風雅に非ず、自ら価値判断を有する。つまり、審美を理解する。審美は相関し、文学ならではの判断になる。文学を通じて良く影響され、鑑賞力が身に付く。閲覧中から作者に詩意の興味を与え、崇高が笑いを生み、悲しみが怪談となり、幽黙は嘲諷になる。
 詩意は、抒情より来て、作家の無節制による自変は、幼稚病であり、初めて学んで書くときはこれを免れない。抒情には多くの区切りがある。詩意は、隠れていて距離を持って注視する。この注視は、作家本人を審査し、著作の人物を越え作者の上にあり、作家の第三の眼となる。
 文学は、芸術と同じではあるが、モダンで年と共に変わり、価値判断は、時代の流行を区別することに等しく、芸術において新たなものになる。作家の価値判断が市場の行動を追従するならば、文学の自殺行為になる。 

花村嘉英(2022)「高行健の『朋友』の執筆脳について」より

シナジーのメタファー2

高行健の文学の理由-20世紀の中国文学3

2 第三の眼 

 現在、一人の作家は、意を刻み、民俗文化を強調し、総じて疑いもする。私の出生、使用言語、中国の文化伝統は、自然と身の上にあり、文化も総じて言語と密に創刊し、感知を形成し、ある種の思考や表現は、隠れた特殊方式を比較する。しかし、作家の創造性は、この種の言語で言い過ぎたところから始まり、この種の言語で十分に表現しないところは、訴えていう。言語芸術の創造者として自己に民族意識を張らなければならない。 
 文学作品の超越した国境は、翻訳や語種を越え、地域や歴史を越えて形成する特定の社会習俗や人間関係、深く染み出る人間の性質は、人類普遍が互いに通じ合う。作家は、誰でも民族文化の外にある多重文化の影響を受け、民族文化の特色を強調し、旅行業で広告を考慮しなければ人生を疑う。
 文学は、人の生存に対し苦難の世話をしてくれる。文学に対する限定は、総じて文学以外の政治、社会、倫理、習俗の企画が文学に鋏をのせ、各種の枠組みに至り、装飾として好まれる。

花村嘉英(2022)「高行健の『朋友』の執筆脳について」より

シナジーのメタファー2

高行健の文学の理由-20世紀の中国文学2

 20世紀の中国文学の災難は、文学の革命が個人を死地に置いたことであり、革命の名義を持って中国の伝統文化の盗伐が公然と禁書や焼書をもたらした。作家は、殺害を被り監禁され、放流そして罰せられ、苦役をもってこの百年に関し計算するものがなくなり、中国の歴史上、一時代では比較の仕様もなく無比の苦難に満ち、自由な創作がさらに難しくなった。
 作家がもし思想の自由を要すると思うならば、それはすでに逃亡になる。黙っていれば自殺と同じで、当否は、自殺を封じる。さらに自分個人の声を発する作家は、逃亡するしかない。毛沢東の時代には、逃亡を続けることもできなかった。個人で独立志向を保持したければ、自言自語は可能でも秘密裏に行う。自言自語は、文学の起点であり、感受を起して思考を言語の中に注入し、書面を通して文字に訴えると、文学が成立する。 
高行健の執筆の履歴は、文学が根本的に自身に対する価値の確認になり、書く際にすでに肯定がある。文学は、まず作者自身が満足を要求し、社会の効果の有り無しは、作品完成後のことであり、作者側が決めることではない。
 言語は、人類の文明による結実であり、精微であり、難を持って理解し、利用できる機会を使い、感知を貫通し、感知の主体に対し世界の認識を同封しリンクを張る。書き留めた文字を通過するとまた奇妙になり、孤立した個人に任せ、異なる民族や異なる時代の人でも橋渡しをする。文学の執筆や閲覧の現実性が他と同様に恒久の精神価値を有し、こうしたリンクがともに起こる。

花村嘉英(2022)「高行健の『朋友』の執筆脳について」より

シナジーのメタファー2