中国から日本に伝わったことばや文化について7

4.生活一般
 
4.1 音楽  

 中国の音楽で雅楽の楽器は、管楽器(かんもの)、弦楽器(ひきもの)、打楽器(うちもの)に大別される。雅楽の合奏では、琵琶や琴といった弦楽器がリズム楽器となる。西洋音楽ではこれがメロディーにあたる。主旋律は、管楽器である笛が担当することになっている。
 明の時代の1392年に明の皇帝が琉球王国へ音楽隊を派遣した。唐栄と呼ばれ、沖縄の那覇にある首里城で王府の役人に中国音楽を教授したり、中国の文化を伝えたりした。琉球との交易、外交の仕事にも従事した。使節団の編成は、毎回25、26名であった。琉球からも役人が中国へ留学した。しかし、琴楽は沖縄に定着しなかった。琉球の楽器やその演奏法が中国と似ていたためである。

花村嘉英(2018)「中国から日本に伝わったことばや文化について」より

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中国から日本に伝わったことばや文化について6

【火薬と羅針盤】
 印刷術は、火薬や羅針盤と並ぶルネサンス(14世紀前半)三大発明の一つでる。写本から活版印刷へ技術が進歩したため、文芸や自然科学の知識も瞬く間に一般大衆に普及した。現代のIT革命に匹敵するほどである。ドイツのマインツにあるグーテンベルクの博物館では、彼の活版印刷術が紹介されている。1455年に旧約・新約聖書(ラテン語版)が印刷された。聖書のドイツ語訳は、マルチン・ルター(1483-1546)によるものである。宗教改革(1525-1545頃)のためにヘブライ語及び古典ギリシア語から翻訳された。
 火薬も羅針盤も中国での発明が西洋より早かった。火薬は、南宋の時代(1127-1279)に発明され、元寇の時(文永の役(1274)、弘安の役(1284))に日本の武士を驚かせた。元(1271-1368)は、日本との通交を求めるも失敗に終わった。火薬は、イスラム世界を経由してヨーロッパへも伝わり、欧州でも火薬を使う兵器が開発され戦力は増大した。
 羅針盤のおかげで航海術が発達し、明の時代(1363-1644)には永楽帝(1360-1424)が鄭和(1371-1434)を中心に南洋、例えば、東南アジア、インド、アラビア半島、アフリカへ朝貢を求めて1405年に船団を送った。朝貢とは、中国を中心とする貿易形態である。中国の皇帝に対して周辺国の君主が貢物を捧げ、これに対して皇帝側が恩寵を与えるという形式で成立する。鄭和の船は、70年後に訪れる大航海時代の5倍から10倍の大きさがあったといわれている。

花村嘉英(2018)「中国から日本に伝わったことばや文化について」より

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中国から日本に伝わったことばや文化について5

3.西洋との比較-ルネサンスの三大発明

 中国の技術は、西側の諸国へも伝わった。751年の夏、カザフスタンのタラス川を挟んで唐帝国とイスラム帝国が激突した。唐軍は敗れたが、捕虜の中に紙すき職人がいて、サンマルカンドで紙を作った。当時、西側ではカヤツリグサの茎の部分から作られる古代エジプトで使用された文字筆記媒体パピルス紙とか羊皮紙しかなかったため、中国製の紙は瞬く間に広がった。
【印刷術】
 印刷術については、木版も活版も中国で開発された。7世紀から8世紀初頭が始まりといわれていて、印刷文化が日本に及んだのは、南宋の時代(1127-1279)、鎌倉以降のことでる。中国における活版印刷は、粘土による活字から木の活字を経て、明代(1363-1644)の銅活字に至る。銅活字は、豊臣秀吉の時代に日本に伝わった。朝鮮出兵の際、文禄の役(1592)で京城を陥れた日本軍は、王宮内にあった多くの銅活字や印刷道具及び活字本を持ち帰った。明朝体とは、明代の中国で使用された活字体のことである。現在使用されている鉛活字は、ドイツのグーテンベルク(1398-1468)が1450年頃に発明した。

花村嘉英(2018)「中国から日本に伝わったことばや文化について」より

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中国から日本に伝わったことばや文化について4

2.仏教との関わり

 仏教については、6世紀中頃、朝鮮の百済から伝わったと日本書紀に書かれている。遣隋使、遣唐使による中国との交流のおかげで、奈良時代は仏教色が強く、寺院の建築様式にも中国からの影響が見られる。大陸建築の伝来により柱は円柱で礎石の上に立てられ、天井も屋根の下に水平に張るようになった。最古の例は、奈良にある聖徳太子縁の寺、法隆寺である。
 中国に仏教が伝来した時期は、秦の始皇帝の時代より200年余り遅い漢の明帝時代(紀元67)とする学説が主流である。釈迦が没してから100年後の紀元前4世紀にアショカ王がインドを統一し、仏舎利を世界に送っている。それから150年経って、秦の始皇帝の時代になる。この説では、二大文化圏の中間にある中国西部地域に仏教がすでに伝来していたとし、シルクロードを通してヨーロッパと秦の都咸陽、及び漢の都長安は結ばれていた。西安の遺跡から出土した陶器には、ラテン文字と類似した符号が見られる。この学説は、言語学や考古学の資料を総合して発表されたこともあり、信憑性が高い。

花村嘉英(2018)「中国から日本に伝わったことばや文化について」より

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中国から日本に伝わったことばや文化について3

【漢字が展開する】
 時代が下るにつれて、漢字は庶民の間でも用いられるようになった。しかし、江戸時代になっても、漢語は依然として抵抗感のあることばであった。明治以降に教育が進んで、ようやく漢語が一般人にも受け入れられるようになる。現代では、中国語は簡体字を使用し、日本語は当用漢字を使用している。

【紙】
 紙は、紀元前100年頃(前漢の武帝の時代)中国で発明された。日本に製紙が伝わったのは、推古天皇(554-628)の時代で、聖徳太子(厩戸皇子)は、コウゾ、ミツマタといった日本独自の和紙の原料を使った紙の製法を研究し、国営の製紙事業を始めた。それまでは竹の皮や絹の布に文字を書いていたため、紙の出現は、文化の普及に大変役に立った。日本では古くから紙は貴重なもので、天平時代(奈良から平安初期)に隆盛した写経のおかげで、紙は地方にも伝わった。

花村嘉英(2018)「中国から日本に伝わったことばや文化について」より

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中国から日本に伝わったことばや文化について2

【漢字の公用】
 仏教色が強く国分寺が全国に造られ、古事記、日本書紀、万葉集が編纂された。安部仲麻呂(698-770)は、奈良時代の遣唐留学生で科挙の試験に合格し、西安の図書館館長にまでなった。渡来人やその子孫たちは、公務の資料を作成するために漢字を使用した。
 天智天皇(626-672)が漢詩文を奨励したため、漢詩の習得が官人の教養の証になった。懐風藻(751)が現存している唯一の漢詩集である。論語の言葉が多く引用されており、中国の儒教の思想が伝えられた。中国の伝統文化は、日本文学に深く影響している。
 平安時代(794-1192)になると、桓武天皇(737-806)が奈良から京都に都を遷した。当時は唐帝国の影響が強く、遣唐使による人の交流も盛んになった。例えば、空海(774-835)は、西安の青竜寺で修行し、帰国後真言宗の開祖になった。書道の大家としても有名である。周知のように、漢字は男、平仮名は女が使用するものとなり、貴族の間では偏つぎという偏をつなぐ遊びが流行した。
 なお、平安中期になると、平仮名、カタカナが発明され、源氏物語、枕草子など物語や日記が数多く書かれた。平安末期には武士の台頭により源平の合戦を代表とする軍記物が登場する。

花村嘉英(2018)「中国から日本に伝わったことばや文化について」より

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中国から日本に伝わったことばや文化について1

 この小論は、これまで留学や仕事で滞在したことがあるドイツと中国を中心に日本を交えた異文化コミュニケーションについて考えていく。内容は、2009年11月に武漢科学技術大学外語外事職業学院で行った学生向けの講演をまとめて書き直したものである。

1.中国と日本の共通点

【漢字の起源】
 最初に漢字の起源について見ていこう。河南省で出土した占いに使う亀の甲や獣骨の文字(紀元前1500年頃)が最古といわれている。その後、紀元前3世紀に秦の始皇帝が書体、篆書体を制定し、印鑑の字体などに使用されて実用化された。前漢(紀元前206-紀元後8)の時代に隷書体が作られ、後漢(25-220)末に楷書体に代わり、現在に至っている。
 印鑑の字体(印篆)は、秦の始皇帝が紀元前221年に天下を統一した際に作られた篆書体をもとにしている。秦や漢の時代からすでに官職には欠かせないものであった。字入れの際は、画数や運気を織り込みながら、八方に広がるように彫っていく。
 漢字の伝来は論語からといわれていて、朝鮮半島を経て遅くとも3世紀には伝わっていた。
 古墳時代(3世紀-5世紀)には大和朝廷が350年頃全国を統一し、飛鳥時代(592-710)には、聖徳太子(574-622)が701年に大宝律令を制定し、日本の国号が倭国から日本に変更された。奈良時代(710-794)には、元明天皇(661-721)が平城京に遷都して長安を模した政治都市を築き、天皇中心の中央集権国家を目指した。

花村嘉英(2018)「中国から日本に伝わったことばや文化について」より

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ナディン・ゴーディマの「ブルジョア世界の終わりに」のバラツキについて7

5 まとめ

 リレーショナル・データベースの数字及びそこから求めた標準偏差により、ナディン・ゴーディマの「ブルジョア世界の終わりに」に関して部分的ではあるが、既存の分析例が説明できている。従って、この小論の分析方法、即ちデータベースを作成する文学研究は、データ間のリンクなど人の目には見えないものを提供してくれるため、これまでよりも客観性を上げることに成功している。

参考文献

花村嘉英 計算文学入門-Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 森鴎外の「山椒大夫」のDB化とその分析 中国日语教学研究会江苏分会 2015
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 日语教育计划书-面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018

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ナディン・ゴーディマの「ブルジョア世界の終わりに」のバラツキについて6

2.2 標準偏差による分析

 グループA、グループB、グループC、グループDそれぞれの標準偏差を計算する。その際、場面1、場面2、場面3の特性1と特性2のそれぞれの値は、質量ではなく指標であるため、特性の個数を数えて算術平均を出し、それぞれの値から算術平均を引き、その2乗の和集合の平均を求め、これを平方に開いていく。
 求められた各グループの標準偏差の数字は、何を表しているのだろうか。数字の意味が説明できれば、分析は、一応の成果が得られたことになる。 

◆グループA:五感(1視覚と2その他)
場面1(特性1、5と特性2、0個)の標準偏差は、0となる。
場面2(特性1、1個と特性2、4個)の標準偏差は、0.4となる。
場面3(特性1、0個と特性2、5個)の標準偏差は、0となる。
【数字からわかること】
場面1、場面2、場面3を通して、五感の情報にはバラツキがある作品といえる。

◆グループB:ジェスチャー(1直示と2隠喩)
場面1(特性1、2個と特性2、3個)の標準偏差は、0.49となる。
場面2(特性1、2個と特性2、3個)の標準偏差は、0.49となる。
場面3(特性1、0個と特性2、5個)の標準偏差は、0となる。
【数字からわかること】
「ブルジョア世界の終わりに」は、南アフリカ当局の監視が強いため、場面1、場面2、場面3を通して、隠喩が多いことがわかる。

◆グループC:情報の認知プロセス(1旧情報と2新情報)
場面1(特性1、1個と特性2、4個)の標準偏差は、0.4となる。
場面2(特性1、0個と特性2、5個)の標準偏差は、0となる。
場面3(特性1、0個と特性2、5個)の標準偏差は、0となる。
【数字からわかること】
場面1、場面2、場面3を通して、新情報の2が多いため、ストーリーがテンポよく展開していることがわかる。

◆グループD:情報の認知プロセス(1問題解決と2未解決)
場面1(特性1、1個と特性2、4個)の標準偏差は、0.4となる。
場面2(特性1、2個と特性2、3個)の標準偏差は、0.49となる。
場面3(特性1、3個と特性2、2個)の標準偏差は、0.49となる。
【数字からわかること】
「ブルジョア世界の終わりに」は、リスク回避を気づかせる作品のため、場面1、場面2、場面3を通して、問題未解決が多いことがわかる。

花村嘉英(2018)「ナディン・ゴーディマの『ブルジョア世界の終わりに』から見えてくるバラツキについて」より

シナジーのメタファー3

ナディン・ゴーディマの「ブルジョア世界の終わりに」のバラツキについて5

場面3

Isn’t it the same old year for immortality, akin to all our desires to transcend all kinds of human limits? The feeling that if you bring such a thing off you’re approaching the transcension of our limits of life: our death.
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We master our environment in order to stay alive, but this is mastery only over the human span, whether that’s measured by three-score-and -ten or its prolongation for a few years – as with the old lady – by medicine. We’ve learnt how to stay alive – until it’s time to die.
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The very scene of operations is significant. We call the nothing above me ‘the sky’; and that way it’s become the roof of our environment, part of our terrestrial and finite being, witness of our moment of eighty-seven years or thirty-one (he would have been thirty-two next month).
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The very scene of operations is significant. We call the nothing above me ‘the sky’; and that way it’s become the roof of our environment, part of our terrestrial and finite being, witness of our moment of eighty-seven years or thirty-one (he would have been thirty-two next month).
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But we know that that ‘nothing’, beyond the layer of cloud I’ve seen for myself from a plane, that wrapping of atmosphere that others have soared above – that ‘nothing’ is space. Twin of time, the phrase goes. I hear it in Graham’s voice: together they represent, in the only conception we’re capable of forming of it, infinity. Nightly, lilac infinity.
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花村嘉英(2018)「ナディン・ゴーディマの『ブルジョア世界の終わりに』から見えてくるバラツキについて」より

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