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A シナジーの組

 例えば、人文と情報(コーパス、パーザー、計量言語学、翻訳メモリー)、文化と栄養、心理と医学、社会とシステム、法律と技術(特許)、法律と医学、法律とエネルギー、社会と福祉、医療と経営、経営工学、金融工学、ソフトウェアとハードウェアそして文学と計算などがこのグループに入る。これらの中から何れかの組を選択して、テーマを作っていく。もちろんこれらの組について複数対応できることが望ましい。
 
B テーマの組

 選んだ組からLに通じるテーマを作るには、人文科学と脳科学という組のみならず、ミクロとマクロ、対照の言語文学と比較の言語文学、東洋と西洋などの項目も必要になる。ここでミクロとは主の専門の研究を指し、マクロとはどの系列に属していても該当するように、地球規模とフォーマットのシフトを評価の項目にする。シナジーの研究は、何かとバランスを維持することが大切である。
「トーマス・マンとファジィ」は、ドイツ語と人工知能という組であり、「魯迅とカオス」は、中国語と記憶や精神病からなる組である。そこには洋学と漢学があり、また長編と短編という組もある。文学と計算のモデルは、こうした調整が土台になっている。

表1

テーマの組        説明
文系と理系:小説を読みながら、文理のモデルを調節する。
人文科学と社会科学:文献とデータの処理を調節する。
言語文学(対照と比較):対照言語と比較言語の枠組みで小説を分析する。
東洋と西洋: 東洋と西洋の発想の違いを考える。例えば、東洋哲学と西洋哲学、国や地域における政治、法律、経済の違い、東洋医学と西洋医学。
基礎と応用:まず、ある作家の作品を題材にしてLのモデルを作る。次に、他の作家のLのモデルと比較する。
伝統の技と先端の技 :人文科学の文献学とシナジーのストーリーを作るための文献学(テキスト共生)。ブラックボックスを消すために、テキスト共生の組を複数作る。
ミクロとマクロ:ミクロは主の専門の調節、マクロは複数の副専攻を交えた調整。少なくとも縦に一つ(比較)、横にもう一つ取る(共生)。

花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より

シナジーのメタファー1

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4 シナジーのトレーニング
 
 組のアンサンブルによるトレーニングを推奨するのは、文理共生・シナジーという研究の対象が元々組からなっているためである。例えば、手のひらを閉じたり開いたりするのも、肘を伸ばしたり畳んだりするのも運動でいうシナジーである。Lのモデルができるだけ多くの組を処理できるように、シナジーの研究のトレーニングとして三つのステップを考えている。(花村2017、95)
 人文から理系に向けた研究方法を何か工夫して、何とか異質のCに辿りつくようにしたい。どうすればよいのだろうか。この10年来小説のデータベースを作成する研究を試みている。既存の文学分析にも理系の研究にも照合ができるリレーショナルなデータベースを作成分析し、作家の執筆脳(シナジーのメタファー)を研究している。
 これまでに、「トーマス・マンとファジィ」、「魯迅とカオス」、「森鴎外と感情」、「ナディン・ゴーディマと意欲」というシナジーのメタファーを考案している。

花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より

シナジーのメタファー1

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3. 中国人に母国語(日本語)を教授する-母国語教育から試みるテキスト共生

 花村(2017)では、人文科学から共生を目指すためのトレーニングを紹介している。そこでは、組のアンサンブルという社会科学で分析の基礎をなす調整の方法が鍵になる。無論、平時で取り組む日本語教育は、人文学院や外国語学院の学生が対象となるため、人文と社会であれ、人文と理系であれ、とりわけ共生を目指したカリキュラムではない。しかし、組のアンサンブルを提唱するための問題提起はできる。
 人物評価をする際に、社会科学や理系は、縦の専門と横のシナジー・共生が調節できるようにLの研究フォーマットを採用している。社会系と理系の組み合わせは実務にもつながることから、それぞれが横も調節できるようにマクロの評価項目を設けている。しかし、議論の対象は、人文の人たちにこうしたLの評価がそもそもないことである。
 原因は何であろうか。人文科学の伝統の技は、文学、言語、思想そして文化などである。また、ことばごとに分かれていて専攻科目もたくさんある。人文の関係者が平時に取り組む教授法は、共通の実務である。教授法の周りに自分の専門分野があり、副専攻として専門以外にも通じたことばがある。しかし、実績を見るといずれも人文科学のもので、横に目安はない。では、どうすれば横に目安を置いて、評価を出すことができるのであろうか。
 ひとつは、人文の人も横に実務を作るとよい。つまり、テキスト共生をスローガンにし、同じ日本語の単語でも文理で系列を行き来すると、意味内容に違いが生まれる。母国語の受容の新たな段階がここにある。
 以下に紹介するシナジーのメタファーの研究は、Lの研究フォーマットを使用するため、人文→理系→人文→理系という具合に系列を入れ子にしてストーリーを作成していく。そこで、母国語のみならず外国語、特に対照言語でも場の理論が応用できるように、文理の意味内容の調節ができるようになるには、文系であるが機械翻訳に従事するなど日頃からのトレーニングが必要になる。それができれば、シナジーのメタファーが外国語教育にも応用できるとする仮説は、正しくなるであろう。(花村 2018)
 
花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より

シナジーのメタファー1

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2.4.2 場の理論 

 卒業論文でも取り上げた場の理論について見てみよう。言語の記号は、動物の鳴き声のような自然の記号に対して人為的といわれる。この人為的な記号は、精神に対して意識の対象を形成する。このような精神的な世界は、どんな法則によって作られているのであろうか。言語については、個人の行為ではなく、ドイツ民族とか日本民族が使用する母国語を想定する必要がある。人為的記号は、個人の生活を越えた持続性とか集団全体の共有物という特徴を持っている。
 言語社会には音的な言語手段というものが存在し、それがその言語社会の他のメンバーに伝えられることは明白である。しかし、意味内容がいかにして限定され規定されているのか、母国語の世界像全体から考察しなければならない。それが場の理論である。つまり、それが一つの構造全体から生じてくる価値となる。全体の観点から、相互に作用し合うような全体という形で分節されている。このような母国語の言語手段の集まりをヴァイスゲルバーは、言語の場と呼んでいる。(池上1980、244)
 言語の場の考え方は、語彙レベルのみならず統語論においても重要であり、統語の場についても触れている。成績評価の語彙は、段階違いのみならず、一文の中に入りかつ状況を踏まえることで意味内容に違いが見られる。

(6) Der Aufsatz ist mit “gut” bewertet. (作文は良の評価で合格した。)

 (6)は、先にも触れた段階別の評価により“gut” の意味内容が微妙に異なることがある。また、これに(6)の文を使用する状況が意味の調節のために加わる。例えば、ほとんどの学生が優であれば、あまりできる人ではないし、優が数人であれば、クラスの中で平均以上の評価になる。つまり、語彙のレベルよりも統語レベルの場の法則は、意味内容の微妙な違いをより複合的に評価することができる。無論、ヴァイスゲルバーは、言語の場には隙間があることも認めている。

花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より

シナジーのメタファー1

ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する5

2.4 母国語教育

2.4.1 母国語の受容 

 言語の運用に関する考察は、まず言語共同体を単位にして包括的に進んでいく。続いて個人のレベルの考察となる。そのため、ヴァイスゲルバーの発想は、歴史や文化も含めた生活の中で言語の研究をまとめるためのものである。言い方を変えれば、集団の脳の活動とか個人の脳の活動という考え方である。
 ヴァイスゲルバーは、ヨーロッパの言語学者であるためフランス語などドイツ語以外の言葉にも通じていた。そのためドイツ以外の国地域を比較する伝統的な言語の研究について、例えば、場の理論からその意義を述べている。
 ことばの作用とは、相互作用に基づいた関係の一面と見なされ、歴史や文化の展開が言語にどのように作用しているのかを考察していく。そのため、言語学周辺の学問からの補足も他の側面として意味がある。そこで、上述にある、技術、法律、芸術、宗教に加えて、人文科学も脳科学を研究する時代であることから脳科学も考察の対象にする。
 母国語の世界観は、外界の存在が意識の中に入る過程で重要な役割を果たすという。すべての母国語の音声形式は、母国語の意味内容が従属しているためである。そのため、世界を言語化するプロセスの相互作用において母国語と言語共同体は、組にして考える必要がある。

花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を考する」より

シナジーのメタファー1

ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する4

2.3 動的な考察
 
 文法の視点で言語を研究する場合、言語共同体を通して世界を言語化する過程が重要になる。ここで言語共同体とは、ドイツ語とか日本語の母国語話者のことであり、母国語とは、言語共同体を通して世界を言語化する手段である。(Weisgerber 1963、94)言語の世界像は、言語を捉えるための考察法であり、静的な言語内容に対して動的な様式といえる文法の考察方法を指す。また、文法に即した語論は、意味に即した考察の継続である。
 親族関係を系図で見ると、例えば、ドイツ語とラテン語には違いがある。(池上1980、211)ドイツ語では、Vatter(父)、Mutter(母)、Sohn(息子)、Tochter(娘)がドイツ人の家系図の中で重要な規定となる。Großvater(祖父)、Großmutter(祖母)、Onkel(叔父)、Tante(叔母)、Neffe(甥)などは、自然体系の中で特別な関係というわけではない。ラテン語の親族用語、pater(父)、mater(母)、filius(息子)、filia(娘)、avus(叔父)、patruus(父方のおじ)、amita(父方のおば)などは、ドイツ語の思考体系と完全に一致しない。ローマ人にとってドイツ語のOnkelやVetter(いとこ)は、存在しなかったからである。これが精神的な中間世界を置く理由である。
 外界の存在と個人の意識間にある中間世界には、境界や分節条件に違いがある。また、個人の意識が音声形式に変わり、語音と語義の間に言語的な母国語の中間世界を想定し、言語の世界像を見出すことに意義を認めた。(池上1980、220)
 音と意味が表裏一体をなす記号としての言語は、同音異義語や機能の面で説明が必要である。性違いで意味が異なる場合、言語史的な見解が可能であり、中性のMesser(ナイフ)と男性のMesser(測量者、測定器)は、別の語彙として区別し、別の道を進んできたとする。機能については、一つの動詞がどういう結合価を取るのかを検討すればよい。(Engel/Schumacher 1978、203)

(1) Dein Verhalten interessiert mich.
(2) Es interessiert mich, das neue Stück zu sehen.
(3) Es interessiert mich, daß du in die Stadt gezogen bist.
(4) Ich interessiere mich dafür , diese Kirche zu besichtigen.
(5) Der Gast interessiert sich dafür , was im Theater gespielt wird.

 (1)は主語と目的語をとり、受動態も作ることができる。(2)はzu不定詞句をとり、(3)はdaß文をとる。(4)はdafürの後に必ず相関の説明が来て、(5)はそれが疑問文になることをいっている。なお、結合価については、動詞だけではなく形容詞や名詞にもその機能が備わっている。
 歴史や文化を含む相互作用に基づいた生活についても言語学が研究する一領域とする。つまり、ヴァイスゲルバーは、外界の存在を言語化するプロセスが実践されると、母国語の世界像が作られるとし、これを個人レベルで捉えるべきではなく、言語、技術、法律、芸術、宗教などが関連して作用すると考えた。そのため、言語の妥当性(sprachliche Geltung)という概念が重要なものとなった。(Weisgerber 1963、127)母国語における語彙や構文の妥当性は、言語共同体が客観的に処理することばによる捉え方を継承し、その営みの中で効果を発揮する。

花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より

シナジーのメタファー1

ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する3

2.2 静的な考察
 
音であれ意味であれ、双方が表裏をなしているという前提から、単体的な考察は認めていない。音に関する考察は、母国語の音の記号を意識することから始まる。語彙に関して目録を作成し、音素に従い特徴を付けていく。例えば、語と語義を担う音声表現としての語体との混同は避けなければならない。音の研究は、個々の語の境界を作る際に意味の基準の助けが必要となる。(Weisgerber 1963、45)
意味に関する考察では、意味に即したことばの中間層が理解される。そこでは、ことばと事物の研究とか記号の研究が伝統的な共通認識である。特に語場は、1930年代に活躍したトリーアからの影響を受けており、意味に即した語論の主な研究領域であって、語群が制限された構成要素間で意味内容の秩序を担う。例えば、gutの価値評価は、4段階、5段階、6段階でそれぞれの意味内容が微妙に異なる。(Weisgerber 1963、70)
つまり、一見同じ単語でも、sehr gut(優)、gut(良)、genügend(可)、ungenügend(不可)の4段階では良、sehr gut(秀)、gut(優)、genügend(良)、mangelhaft(可)、ungenügend(不可)の5段階では優を表している。つまり、4段階と5段階で意味内容が異なることは明らかである。また、言語記号と意味内容は、音と意味の総体という捉え方で、Wort(語)= Laut(音声形式)x Inhalt(意味内容)という構造式が基本であり、gutの場合も然りである。

花村嘉英(2018)「日本語教育をヴァイスゲルバーから再考する」より

シナジーのメタファー1

ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する2

2 ヴァイスゲルバーの母国語教育の立場
 
2.1 言語分析のための4つのアプローチ

 ヴァイスゲルバーは、言語の分析、特に母国語を考察する際に、音、意味、文法及びことばの運用の問題を取り上げ、例えば、文法に関して考察するとき、単体としてではなく、他の3つの要素も関連づけて考えることを目指した。(Weisgerber 1963、33)つまり、ドイツ民族が母国語を習得する際、音、意味、文法を関連づけて学習しながら、外界の存在と人間の意識の間に位置する母国語の世界像を使用していると考えた。
 私も母国語教育を考えるとき、日本語の音や意味、そして文法の面だけではなく、生活や文化なども含めた日本語の運用について考えることが多い。これにより言語共同体が考察の対象となって世界を言語化するプロセスとしての母国語が特徴づけられる。
 母国語全体の分析対象をまず二つに分ける。一つは、すでにできている静的なもの(エルゴン)、また一つは人の心に働きかけ自らを変革していく動的なもの(エネルゲイア)である。前者には、例えば、音と意味が属し、後者には文法やことばの運用が入る。言語学史の流れで見ると、1960年代はまだ脳科学からの考察が少なかったため、精神や言語による中間世界という概念を用いて母国語の世界像を説明していた。

花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より

シナジーのメタファー1

ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する1

1 はじめに

 中国の大学で中国人に日本語を教えてかれこれ十年になる。これを機に母国語による個人や民族の教育を目指したドイツのレオ・ヴァイスゲルバー(1899-1985)の論文を再考してみたい。ヴァイスゲルバーについては、立教大学文学部ドイツ文学科の卒業論文(1985)で取り上げた研究テーマである。
 当時は、ドイツ語の意味論に関心があった。トリーアが中世の形容詞と名詞を語彙レベルで研究したのに対し、ヴァイスゲルバーは、現代のドイツ語を単語から構文まで研究の対象にした。そこでこの小論では、日本語教育の現場で約10年中国語話者向けの教授法に従事した私の経験知とヴァイスゲルバーの母国語教育を照合し、卒業論文から始まる私の研究実績の区切りを作りたい。主要な考察対象は、言語の運用とし、中国で実践している日本語教育とヴァイスゲルバーが目指した母国語へのアプローチを関連づけて論じていく。

花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より

シナジーのメタファー1

シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること-ナディン・ゴーディマ16

5 まとめ

 作家の執筆脳を探るシナジーメタファーの研究は、花村(2018)でも記したように、①Lのストーリーや②データベースの作成、さらに③論理計算や④統計によるデータ処理が必要になる。しかし、最初のうちは、一つの小説について全てを揃えることが難しいため、4つのうちとりあえず3つ(①、②、③または①、②、④)を条件にして、作家の執筆脳の研究をまとめるとよい。ここでは、①、②、④の条件を満たしているため、「ナディン・ゴーディマと意欲」というシナジーのメタファーは、成立していると考える。

【参考文献】
花村嘉英 計算文学入門-Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 森鴎外の「山椒大夫」のDB化とその分析 中国日语教学研究会江苏分会 2015
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社2015
花村嘉英 日语教育计划书-面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは-「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ  中国日语教学研究会上海分会論文集 2019

シナジーのメタファー3