ジャン・ポール・サルトルの「嘔吐」で病跡学を考える3

3 作家サルトル

  La nauée「嘔吐」の中から吐きたいメンタルな気持ちを書き出していく。同時に心のありようである人間らしさは、脳の働きによるもので、脳内を動き回り心を左右する神経伝達物質についても説明する。心の状態を左右しているのは、神経伝達物質の種類と量である。
 あの男は、吐き気を待っている。胸がむかついた。吐き気がしたのかと思ったが、そうではない。1917年の冬は、捕虜でもあり、食べ物の事情が非常に悪く、病気になった。私は、病人である。
発作が起こる(Une belle crise)。確かに人間はすばらしい存在である。私の頭からつま先まで発作が全身を揺らす(ça me secoue du haut en bas)。一時間前に発作が起こることを知っていたが、認めたくはない(Il y a une heure que je la voyais venir, seulement, je ne voulais pas me l’avouer)。世界が実存することを知っている。吐きたいと思うことが頭を悩ます。
 ここでは、興奮性の神経伝達物質であるノルアドレナリンが分泌している。主な作用は、興奮、覚醒、恐怖、怒り、不安、集中力と関係している。パニック障害の特徴がある症状といえる。
 鉄道員の店で吐き気があり、公園でも別のものが、今日はとびきり強い吐き気があった。
 吐き気は、直ちに離れることはない。私は、吐き気に襲われることはない。吐き気は、病気でも咳込みでもなく、私自身となった。
 実存の鍵とは、吐き気の、つまり私自身の生活の鍵であり(j’avais trouvé la clef de l’Existence, la clef de mes Nausées, de ma propre vie)、これを発見すると、あらゆるものが不条理に行きつく(tout ce que j’ai pu saisir ensuite se ramène à cette absurdité fondamentale)。
 人間の観念は、視覚、嗅覚、味覚からはみ出ている(Ce noir-là, présence amorpha et veule, débordait, de loin, la vue, l’odorat et le gout)。異常な瞬間が来る。身動きもせず、凍りついていると、何か新しいものが現れる。吐き気を理解し、それに精通した。ことばにするのは容易であり、偶然性こそが大切である。実存とは必然でなく、単にそこにあることをいう。実存するものは、出現し、偶然の実存に任せるが、実存するものを演繹することはない。

花村嘉英(2022)「ジャン・ポール・サルトルの『嘔吐』で病跡学を考える」より

シナジーのメタファー3

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